離婚・婚活・再婚を乗り越えて。今はただ最愛の息子に会いたい

体験談

 

「ミドリ」さん、50代の女性です。今回は本当にお話を伺いながら涙が止まりませんでした。「ミドリ」さんの壮絶な体験、人生、を聞いてただただ呆然としました。バブルの時代にも婚活があったんですね。そして婚活しながら「ミドリ」さんはきびしい運命に振り回されて行ったのですね。表に出さないけれどミドリさんの心にある深い悲しみを思うと、、、、何か喉に突き刺さった感じがして涙が止まりませんでした。ミドリさんの歩んできた人生に、とても考えさせられてしまいました。ミドリさんのお話です。

 

 

30歳で離婚、と言うよりは追い出されて独りに

 

当時30才で離婚され、子供は夫に預け、泣く泣く離婚となりました。

放り出されるように離婚したので、仕事も新しいのを見つけなければならなかったし、旦那さんも新しいのを(可能ならば)見つけなけらばならなかった状況です。幸い実家に帰ることが出来、父母と一緒に住むことになりました。

 

 

 

泣きながら実家に戻りました、怖かった父が黙って迎てくれたのが不思議でした

 

恥ずかしながら30過ぎて父の扶養家族に加入させてもらい、なんとかバイトを3件掛け持ちして生活費を稼ぎました。実家には3万円を納めながら日々子供の写真を見て、泣いて暮らしていました。

 

 

 

 

そんな状況で婚活する? 今ならその当時の私は狂っていたことが分かります。狂っていたんです

 

なぜ、そんな状況で再婚活を?と思われるでしょうが、私も最初はなんとか復縁できないものか?子供と暮らせないものか?少なくとも会えないものか、と色々と復縁するための策を講じました。でもダメでした。

 

 

 

元旦那に電話番号を変えられて…

 

まだ前旦那や息子のことが、あきらめられなかったのですが、電話番号を変えられてから初めて、もう忘れなくてはいけないのだと悟り必死に新しい旦那様を見つけることに専念しました。

 

そんな人生最大の不幸の中で”婚活”(←当時そんな浮かれた言葉なし)

 

昔は、OMMG(現楽天オーネット)という結婚相談所に加入し毎回 男性を紹介してもらいお互いデータ交換で気に入れば会ってデートするし、もし気にいらなければデータを事務所に返却するというシステムで直接断ったり断られたりしなくていいので気が楽でした。コンピュータお見合いとか言われ、そんなお見合いしてる人を世間はちょっとバカにしてる感じでした。

 

 

36万でいい男みつかたら安い買い物よ!!

 

当時30才でしたが、男性には親権なしのバツイチが結構いました。私もそうですが、当時のアドバイザー曰く、「女はね、1才でも若いほうがいいわよ」とかで、すでに30歳だった私はかなり焦って再婚活に励みました。当時36万の加入金でしたが、そのアドバイサーが「あんた、36マンでいい男性をみつけれたら安い買い物よ」などド直球のえげつない言葉を投げつけて来るので、うわー女はたくましいなぁ、とたじろぎましたが、ふと我に返って、いかんいかん、私も結婚のためならなんでもするエゲツないババアになろうと思いました。

 

で、その後、まさにその言葉通りの再婚をすることができたのです。

 

 

とにかくお金の不幸からの脱出

 

とにかく早く実家をでて再度出発できたらと望んでいましたので、毎週誰かとデートという感じでした。やはり年収が安定した方で、出来たら親の面倒をみなくていい方が条件だったので、9才年上でしたが、ある方とお会いすることにしました。

 

 

彼は元柔道選手で、優しくて、婚期を逃しさみしく生きていたデカ男

 

当時整体師として独立していた彼は、本当に優しくて誠実に生きてこられた男性。あと一歩で結婚する女性がいたらしいのですが、破談となりそのまま独り身。その時で40歳という人でした。私は当時流行りだしていた英国式リフレクソロジーに興味があり、彼の整体の技術をリフレクソロジー方面に活かせないか?整体医院をサロンに変えられないか?色々アドバイスをしたりしました。

 

破れ鍋に綴じ蓋って、昔は通じたけど、そんな古い言葉わかるかい?

 

どちらかと言うと外交的な私と、真面目に淡々と仕事をこなす彼と、結構出会った頃から息はピッタリでした。とにかく2人とも仕事に忙殺されていないと過去の悲しさから逃げられないと言う負い目があり、2人で一生懸命に仕事に没頭しました。

 

注)破れ鍋に綴じ蓋(われなべにとじぶた)割れてしまった鍋にも、どこかにそれに合うフタがあること。どんな極端な人物にも、その人にふさわしい伴侶がいる、との例え。

 

 

ときには思いがけない大金がドバッとなだれ込んで来たりも

 

たまたま彼のツテで仕入れていた天然石がアクセサリーとして大ヒットし、一時は濡れ手に粟の大金を手にしたこともありました。

 

 

 

私は、もう幸せになっていけない女なんですけど

 

そしてお付き合いを進めて10ヶ月、こんなバツイチの女を嫁にしてくれました。彼は初婚なのに彼も彼のご両親も、私を受け入れてくれました。でもまだ息子たちには会えていません。

 

マンションもあり、ハネムーンもオーストラリアに連れていってもらい、電化製品もすべて買ってもらいました。裸同然、着の身着のまま嫁にいった感じでした。ほんとに相談所にいって紹介してもらって、そして彼に出会ってよかったと心から思います。もちろん、どんな時にも残して行った息子のことは頭の中にあります。片時も忘れたことはありませんが(泣)

 

 

バブルは終わりを告げ、2人で白髪の生える年になりました

 

今その旦那はもう還暦を過ぎ、私も50過ぎのオバちゃんになり、2人でこのまま老後を過ごしていくことになりそうです。

 

 

 

若気の至り:でもまた同じ人生でも同じ喧嘩をしてしまいそう

 

子供達には可哀想なことをしたと思っていますが、あの頃の元旦那と私には離婚は避けられなかった
状況だったと思います。何が良かったのか、悪かったのか、答えはまだ分かりません。別れて見て色々わかったこともありますが、別れるまでは見えなかったのも事実です。また同じ人生を歩んでも若い時に同じことで同じ失敗を繰り返しそうです。

 

 

今思うとなんであんなに必死に喧嘩してたんだろうと

 

若い私は、あの頃前旦那の全てに「カチン」と来る病気にかかってました。意地の張り合いと言ってしまえばそうなんでしょうが、何を言っても、それは違うよ、お前はわかってない、バーカ、と全否定して来る夫の言動が、だんだん許せなくなりました。それに気づいてもらいたくて、わざと冷たくしていた間に、私たちはもう関係修復できないほど憎み合うように…どっちが浮気したとかでもないのに離婚、そして最愛の息子とは未だ会えず。一度人に入ってもらって息子に電話することが出来たのですが、そそくさと切られてしまいました。

 

 

婚活のサイトで離婚の話ししてすいませんが、言わせてください

 

どんなに恵まれても、いつまでも「幸せ」になったとは言えない運命になってしまいましたが、この状況の中では一番幸せな状況に押し上げてもらっていると、、、日々すべてに感謝。感謝に絶えない生活を送っております。どうか、今離婚しようと考えている方は「親権」に関しては熟慮に熟慮を重ねて、慎重な判断を下されることをおすすめします。

 

 

 

天国で会ったらママの名前を覚えていてね

 

 

 

 

 

 

 

 

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